統計から見る偏見  [矢野沙織]

皆さん、調子どうですか。
今年ももう師走ですね。

一年総決算期、というわけで。
私がおよそ一年間書き溜めてきた「2010年・統計から見る私の偏見」を発表しましょう。


勿論あくまで私の偏見、私しらべの統計結果ですので、該当しながらも違う場合なんかは、教えてくれるかもしくは気にしないでいて下さい。


では早速、




・主婦こそ主婦を嫌う。


・「親が嫌いだ」と言いながら実家に居続ける人は、小学校三年生みたいな性格で、大抵仕事が続かない。


・女のドロドロ毛嫌い発言をする男は女の腐ったような性格。

・「お前は変態ではない、安心しなさい。」
と言われて、みるみる焦燥し悶え「どうか変態と言って下さい」みたいな体で喜ぶようなのは、矢張り変態ではない。


・深刻な小児性愛者以外の、オタクでロリ萌えみたいなタイプは、女と普通に接せられた時期が子供時代のみだから、好みも妄想の対象すらも子供以上の年齢に成長していないだけの凡人。

・10年代の現在の20代前半者と20代後半者は、一番多感な時期の意思伝達ツールが全く違う為、実際の歳の差以上の年齢差を感じる。


・「鞄や財布の中身を見るなんて最低。」などと必要以上にアピールする人は、絶対に見てる。それは携帯なんかを見るか否かの話題とは全く別。
ただ、そういう人は携帯も見る。


・アカネという名前の女は目がでかい。


・ブランキージェットシティの話題の途中でミッシェルガンエレファントの話をし出す人は、ミッシェルの方が好き。


・名前の中に「ヤス」が入っているのにヤスと呼ばれたことのない人は友達がいないか、いたとしてもその友達は友達がいないタイプ。


・音大を出ていることにコンプレックスのあるミュージシャンはどうせ真面目。


・名前の中に「カズ」が入っているのにカズと呼ばれたことのない人は内向的。


・最近のM嬢の、なんと15人くらいに1人は深刻な真性M女。

・男のマゾは、どこまでいっても自分にサドということ。


・すぐ枕詞に「常識的に考えて、〜」「一般的には、〜」「普通、〜」などと付けて喋る人は決まって昼帯のテレビ番組が大好き。


・髪を染める周期を月単位でなく週単位で喋る人はなんか面倒くさい。


・「嫁(または主人)に会えて幸せ」「とにかく嫁(または主人)が好きだ」と、一切聞いていないのに話してくる人はいつも決まって薄暗い。


・人前で男の首根っこつかまえて説教するような女は、大抵結婚するまで実家にいてろくに働いたこともないような女。


・特にアルマーニに執着する男は、大抵全く似合っていない。

・好きな人にはかなりはっきり好きと言った方がなにかと良いことがある。


・雑誌に踊るような流行を、昔はおじさんが作っていて、今はおばさんが作っている。


以上。


もちろん、異論は認めます。

ではまた次回。

矢野沙織
2010年12月21日23:47 | Comment(18)

Sir,James Moody  [矢野沙織]

「沙織ちゃん、残念だけどジェームス・ムーディーが死んだよ。」
と私に知らせたのは加納さんで、
それまで私は何も知りませんでした。



だから今はよく意味が解りませんが、


いつか、私の演奏を10秒あまり聴いてすぐに、立てた人差し指を細かく振りながら小走りで、
「よく解る、よく解った。でも、君は言葉を知らなさすぎるようだよ。」
と私を演奏を止めたのが彼の最初の挨拶でした。


それからいくつもの時間を彼と共に過ごし、急ぎ足で私に言葉を教えたら、すぐにそれを一緒にレコードに吹き込んで、あろうことか売り物になるそれを使って更に、私に時間目一杯分の彼の人生を教えました。

アルバム[Groovin High]の録音当時、その最中もレッスンレッスンレッスンで、当時は本当に気の滅入るような一見関係のない、別に実際なんていうことはないけどなんかすんごい面倒くさいような練習をさせられては、当然そんなんすごい苦手だから全然出来なくて怒られていました。
それが、何の緊張感もなくありとあらゆるタイミングで行われ続けるため、とうとうどうしてもムーディーの考えていることがサッパリ解らなすぎたから

「一体先生は何を考えていらっしゃるのですか?というのは、今どのような気持ちなのですか?」
と聞いたら、

「多分、自分の最後のまだ小さい娘が、レコーディングをする前の気分だろうね。」
と大真面目に言い、すぐに、やれさぼるな、やれ怠けるな、と訓練を再開させました。


それからすぐに、彼の家族と私とを生活を共にさせることで私をもっとおしゃべりにさせ、話すことでそれまでが許されてゆくような気分にさせました。

そして、これからもずっとそこにいるような佇まいを残したまんま、何にも言わずに先生は逝ってしまった。


私は嘘をよく吐いてしまうタチなのだけれど、それを差し引いても、あんなにも嘘を吐く必要の無い人間に会ったのはおおよそ初めてのことだったものだから、私はついつい嬉しくなって、後ろめたいようなことから、嫌いな人間の仕草、タイプ、嫌いな音、ついには人には言えない嫌いなものベスト100みたいなのばかりを、とにかく彼の後をついて回って喋り、
はたまたある一瞬は、例え自分が都合の悪いことはごまかしても、それは嘘ではないのだと確信できる時があって嬉しくなったこともあったと思います。

だから、もうわけが解らなくなって、昔からどうしても聞いてみたかった差別の話しを聞いてしまって、それまでの鬱積した差別に関する思いのたけをお話ししたように思います。

それまで誰にも言えないと感じていた自らの差別区別感をまさかアメリカ人に話すとは思わなかったものですから、なんだかとてつもない大事件な気がして、あの時は随時早口で焼夷弾のようにぼろぼろと色々な言葉を口にしたと思います。

だって、ちょっとチーズが無いとかそれくらいの用事で、
ステテコ姿で、少し離れたベーカリーの付いてるようなスーパーに行くのに、
ベニーカーターに貰ったとかいう古い嘘みたいなロールスロイスで岡をぶっ飛ばして下るのは気分が良かったものだから。

特にその道すがらにはよく喋りました。

確認したわけではなかったけど、全て許されてゆく気がして、本当に気分が良くて、未だに、なんだったのか意味が解らないくらいで。

ちょうど、死ぬほど酔っている状態から水気をとったかのような良い気分でした。


そういう風だから、思いだそうとするだけでちっとも会話が止まらないじゃないか。おかしいな。
もう死んでいった人なのに。




きちんと落ち着いてみれば
先生の死というものはそもそも、
思い出してみればこのところも、(というのは、時々あることなのだけど)死んでいく恐ろしさをなるべく解りたい気持ちがしたから、楳図かずおが言ったらしいように、なるべく怖くなるようにわざとしたりしていて、それで5日も経つとそろそろ今回は本当に怖くなってきてしまっていたから、むしろ困ったなと思ってたのだけど、
そんなので感じようとしていた死とは違ったのは勿論で、その違いといったら雲泥どころじゃないもっと違うレベルでベクトルの違うやつだったからびっくりしてしまっていたんだ。


最後の言葉だとかなんだとかはまだまだ聞けている状況ではないけれど、

もう一度よく考えてみると、
先生は私に、自身が逝かれる迄には到底終わらない数の問題を寄越しているものだから、先生を追悼しようと思ったりしてごく普通に回想するだけでも会話、質問が止まらなくなる。
それで最終的にはなんだか明るい気分になっている。
ではそれは一体どういうような成分でそうなっているのかな?ともう少し落ち着いて考えてみると、
きっと私の先生は、最後に残されたありあわせの命でする貴重な一息一息を、強く生きられたタイプの人であろう、と誇らしい気持ちがしているから、明るい気分なのだ、と思いました。



それと
私は結婚したことも、なんかそれらしい写真でも撮ったあとでいっぺんに驚かせてやろう、と思っていたから知らせてすらいなかったな。

そうか、じゃあ先生の中では私はもう永遠に娘さんなのか。

ならば、先生が投げかけて私が大変大変と抱えている問題は、ただ元気に生きてゆけば解けるものばかりなのだろう、と。


だってそうでもなければ、困るのですから。

これから長く生きてゆくほど、身の回りの好きな人が死ぬことが増えるわけで、その度にこれほどまでに悲しかったら、あんまり疲れますでしょう。


だから大丈夫。

次は今より少し大丈夫になるはずなのですから。
2010年12月11日12:43 | Comment(8)

松永貴志  [矢野沙織]

先日、報道ステーションテーマでお馴染みの松永貴志に会いました。


なんでしょう、彼とはデビューした頃からの友達で…、
というのも私は「友達の確認」が苦手で、この人と「友達」なのだ、と公にどころか軽く人に言うことすら
「相手は友達だと思っていないかも知れないじゃないか。そしたら私ばっかり気持ち悪い人になっちゃうじゃないか。」
とやや気恥ずかしくなるタチなので、彼とはよっぽど友達なんだろうなあと思っています。

彼とは友達です。
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で、まあちょくちょく電話こそすれ、会うのは多分3年ぶりくらいなんでは、否、待てよどうだったかな。
と、全く定かでないくらい会っていなかったので大変嬉しかったです。


再三言うようですがこの男、心根の優しい非常に良い男なのです。

また今日も酒を飲み、
「また沙織ちゃんはそんな極端な話ししはるからアカンねやで。」
などと言われながら更に酒を飲み、果てはわははと笑いながら帰って参りました。


タクシーの中でふと、私はいつも口の回る彼の話しを「参ったなあ」と笑いながら聞いているつもりでいましたが、本当は前から彼は随分と熱心に私の話しを聞き、都度「わかるけど、そんな怒らんでもええやんか。」「それは極端すぎるわ。」と言っていた気が致しました。

彼は別に昔からよっぽど大人だったのだなあ、と思うと、いかに自分がフラットでないかが解る気がして、なんだか傲ってしまったような恥ずかしい思いがしました。


そしたらなんだか急に松永貴志がありがたくなって、やれ奴は時期誕生日だから、なにかあったかいようなスリッパとかなんかそういうのでも買ってやろうとか考えるのは本当に楽しいものなのでした。


ではまた。
矢野沙織
2010年12月10日11:31 | Comment(3)

 [矢野沙織]

私にとって、私の考え方は
センター、真ん中、当たり前、スタンダードなこと。

あくまでそれが私の当たり前、常識であって、例えば隣の彼には彼の常識があり、それら各々が持ち寄った常識感の集合体が夫婦で親子で、仲間で会社で。
そして、それらの最大集合体が社会であり、その数だけ存在するらせんが絡まり合って大きな人間社会の円を描くもの。

もっと引いて見たら、その大きく見えた円も、さらに大きな括りの哺乳類の円の一部だろうし、更に引けば地球生命体の、宇宙の円の一部だと。



ならば、本来右左はおろか、宗教概念すらも無くて然るべきだと思う。



それを踏まえて、
私は、「日本の神道」は、何より靜かで、大変に美しいと思うのです。
グラミー賞を取れたら、天皇陛下にお会い出来るかも知れない。


単に、そう思って精進している限りです。


偏見とは何か、中央とはどういう意味か、区別とは何か、BeBopとは何か、音楽とは何か、流行とは何か。


答えは、何でもいい、のだと思います。
どうでもいい、に近い何でもいい。ですね。


ただ、それらについて、意見を発表する、もしくは上記の「常識感の合う者同士」で意見を言い合うことは、何より刺激的で開放感の感じられる話題なので、あくまで気のあう者同士が共通言語で話せばいいことで、しかも話すととっても面白いことだと思っています。



ただそれだけだと思います。



ところでみなさん、風邪に注意しましょう。

そして青少年のみなさん、今は知りませんが、24才になれば自由です。少なくとも私はそうでした。
死なないで頑張って生きて下さい。


自殺することは私の好きな考え方では、エスケープを意味します。サボリ、怠慢、途中逃避。
死んだらさ、多分泥になるんだと思う。寝てるけど起きられないけど寝られないみたいな気分。あるじゃあないですか。自律神経がズブズブ過ぎて一週間以上ほぼ起きてないような時の気分。

あんなのは楽に決まってるじゃあないか。
だから、死んだら楽になるんだと思う。

生きている最中に忙しいのは当たり前なのでしょう。
生きることは忙しいですよね。

死んだら永遠の静寂の中で、またしばらくは胎児のように浮いていられるんでしょうから、良い夢を見るためにも少々気張るのも楽しいものだと思います。


私は言葉が付いて来ないものだから、うまく言えていないんでしょうが、
鏡に向かって自分自身に自問自答を繰り返して気が狂って自らの脳を壊すより、自分自身を客観的に見る生活を送ることの方が、必要性は言わずもがな、とても良いことしか産まれない生活になるんだと思っています。

実は自分自身を客観的に見るのは非常に良いトリップです。
ただそれもどこまでも主観です。
それも含めて広い円をどこまでも想像するのは、私にとっては少なくとも気分が良くなることなのです。


もし気が向けば、どうぞ。


ではまた。

矢野沙織
2010年12月06日23:22 | Comment(6)

扇状の会場で  [矢野沙織]

「よう、君。見上げてごらん中吊り広告を。世の中の人間は結局だいたい生きることと死ぬことにしか興味がないものなのだよ。父さんも君もまた、そんな煩悩に犯された者共の一翼なのだよ。」
みたいなことを少々の禁止用語を含みながら私に言ったのは父である。

父親は自衛隊にいたことがある。理由は行く宛が無かったから、の気もしている、が、とにかく私の父親は自衛隊員だった。
「在る晴れた日に俺は行く、〜っていう軍歌がマジでアツい」
みたいなことを言ったのも父親でした。
と言ったって、街宣車飛ばして爆音鳴らすようなのとは違うから、私にとって父の嗜好は特におかしなこととは思わなかったわけです。

ここからはもう小学校も高学年になっていましたから、父の嗜好と直接関係は無いでしょうが、大東亜戦争から第二次世界大戦、戦後の昭和に、今思えば特異な興味を持ち、当時の日本人が使う言葉に、好んだ風俗に、着衣に、戦闘機に、そんなものばかり気になって仕方がなかった。
それらを、いかにも右翼の象徴のようなアイテムだ、と言うならば、私は右翼アイテムはスーパークールだと思った。それは昔から。

公のために奉仕し且その為の環境を保守する人生を何と呼ぶ?
私はその姿勢でいる構え、良いと思う。それは素晴らしいじゃないか、では、それが真ん中の考え方?そうではないらしい。
じゃあそれは右翼の思想か?ならばやはり私は右翼ですよ、と思う。
でもまあ、それもまた極端な話しになるじゃあないですか、とも思いますから、
ではね、では中央はどこですか?

私は、少なくとも、連合国を国際連合と言い直し、右左どころか前後不覚みたいな奴まで訳も分からず「戦争反対」と言うことを教育するのは、中央ではないと思うのです。
※勿論広く最終的には戦争反対です。

だからどうして欲しいわけでもないですが、そんな風なことを思っていたらもう師走でした。
去年の今頃、いや一昨年も、果てはその前前も、だいたい今後一体どうなるものだろうか、とうなだれて来て人生でしたが、今年は大変珍しく良い年になりました。

来年からはきっと何かと大変になると思いますから、なんか色々、埋めたり貯めたりしておくと良いと思います。

音楽は戦争でどういう役に立つのか、人間は何に興味を失ったら仕舞いも同じなのか。
考えると楽しくてなりません。

ではまた次回。

矢野沙織
2010年12月02日10:44 | Comment(5)

恩賜煙草  [矢野沙織]

三島由紀夫が言ったってダメだったんだもん。
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それは、仕方ないよな、と茫然自失してしまうでしょう。
あの時に彼の言うとおりにしていれば?と思うけれど、それは私が無知だからそう思うのでしょうか?
いや、確かに私は無知で愚かに御座います。

でもさ、右だ左だじゃなくて、そう思いません?
自衛隊が日本軍になれば別にそれで良いんだから、むつかしいこと言ってないよ、と。
じゃああれだ、三島由紀夫ほどの人が、防衛庁まで乗り込んだのに、彼ほどの人がそこまでやったのに彼は軍人になれなかったんだから、
だからもう駄目なのですか、と。

駄目なんすかね、
いやまあそれは解らないけど、

でも死ぬことは無かった。
死ぬことは無かったんじゃあないかな。いや、
男はマゾすぎると、死んでしまうのか、そうか。
女は所詮一人ではあそこまでのマゾヒストにはなれなくて、
でも男のマゾは、自分に対してサディストになることで得る痛みでマゾヒズムをを満たすから、ああ、まあそうなるのか。

男凄いな。
女はこれだから駄目なんだよなあ、

、というわけでもないか。

ではまた次回。
矢野沙織

2010年11月30日10:00 | Comment(3)

とっくの昔に  [矢野沙織]

そう言えば、とっくに三島由紀夫も
「俺はゲージツと軍事にしか興味ぁ無いんだよ」
と言っていたんです。

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だから私も小さいとき、図書館でチャーリーパーカーを聴き始めたときに犬養毅、二・二六事件から戦争が始まるところを知るのが大好きだった。
戦争の服、戦争の髭、戦争の飛行機、戦争の人々。
それらを見るのが大好きだった。
だから私は、昔から妙に戦争歴史に詳しかった。ゼロ戦を信じてB29を見上げた恐ろしい時代が見たいと思っていた。
勿論、死ぬほど戦争状態が怖かった。「今この生活状態から戦争になったら私はどのへんの何になるのか?」と、小学生の頃からかなりの頻度で想像を巡らしては恐怖していた。

どうして戦争状態の事にばかり興味があって仕方ないのか?
ずっと悩んでいました。
そのうち、私は人を殺したいのだろうか?とまで悩んだ時期があって、でも、いや、それは違うよって。



でも悩むこと無かれそれは別に普通の事だったんです。
音楽と戦争の事が好きなのは。
子供だって好きなのは普通の事だったんだ、と。


そういう人多分割とたくさんいらっしゃるのでは。
違いますか?
2010年11月26日10:27 | Comment(12)

だからブーツを買おうと思ったんだ。  [矢野沙織]

今は、
「昔は良かった」と、自然と隣合わせだった生活を懐かしみ羨んでいるけど、
そのうち私達が、新しい子ども達(レインボーチルドレン)に「昔は良かった」と話す頃には、既に、かつて高度な文明が繁栄していたことを懐かしみ、羨むようになっていると思う。


というのは、その時には金も時間の概念も払拭されきった荒野になっていて、
でもさすがに、氷河期とかそういう意味での終わりではないと思うから生きてる人間は生きてる。
ただ身の回りのものは、もう何も無い。
でも息も吸えれば水もある。
生きられる。

それは多分、宇宙全体のらせんに乗っ取って進んできた一つのらせんがまた、終わっただけで。

そうして、前世界の記憶がある人間達が、何も無くなった世界で、出来るだけその記憶を「記録」する。そして、戦争をした人間が死んでいくのと同様に彼らも死んでいく。


すると残された人間が一度退化したように見えるが(人間と猿は決定的に違う)、そうではなくて、また進化、所謂、新人類の時代が繁栄してゆき、それと同時に古代人(ここでは我々の時代の人間)が高い文明を持っていたという、「記録」を解読しだし、また今現在と同じように終焉を予期する。



そして社会が終わったその頃に、前世界を尽力で模写した物は、ピラミッドとかそういう類のレベルの文明誇示建造物として現代と同様に研究されるんだと思う。
だから、ピラミッドが作られるらせんの前の世界は、今と似ていたんだと思う。
だからまた一度、社会は終わると思う。



だから、丈夫なブーツを買おうと思ったんです。
2010年11月26日01:37 | Comment(5)

ニュース  [矢野沙織]

「朝鮮で戦争が始まった。人が死んだ。」


というニュースを伝える番組のテーマ曲を演奏していたのは自分だった。
2010年11月24日23:37 | Comment(4)

嘘を吐かないための説明  [矢野沙織]


「日常的な細かい矛盾を自己完結である程度処理して伝達をする。」


こう聞けば、なにかとっても仕事のできる広告代理店の人みたいなのをイメージしますが、これは私てきな嘘の成分説明の一部です。

嘘を吐く生活は単純に疲れますね。
ただ、嘘を吐いた自分の生活と、嘘で作った自分の生活、の二重生活が送れるのはちょっと楽しいですよね。ちょっとした小旅行、みたいな。ちょっとしたトリップワールドみたいな。


でも結局は、嘘の無い生活は即ちストレスの無い生活でしょう。


では嘘を吐かなければいい、
ただそれだけなんですね。

実際に嘘を一つも吐かない生活を始めると、まず全体的に元気になり、全体的にばかになり、全体的に不眠の傾向になります。

これではあまり良くない。


では嘘を吐かない生活に「説明」をプラス。
すると、全体的にやや攻撃的な元気になり、全体的にセンシティブになり、全体的にうざくなります。
これはかなり良い。
かなり良いです。

嘘を吐いていた生活と、嘘を一つも吐かなかった生活がいかに鈍感になっていたかが解ります。

嘘を吐かないために説明をする生活をしていると、自然に知ったかぶりの類をすることも無くなってきますから、


全体的に人生が豊かになります。



ではまた次回。
矢野沙織
2010年11月20日06:46 | Comment(9)