[矢野沙織]

私にとって、私の考え方は
センター、真ん中、当たり前、スタンダードなこと。

あくまでそれが私の当たり前、常識であって、例えば隣の彼には彼の常識があり、それら各々が持ち寄った常識感の集合体が夫婦で親子で、仲間で会社で。
そして、それらの最大集合体が社会であり、その数だけ存在するらせんが絡まり合って大きな人間社会の円を描くもの。

もっと引いて見たら、その大きく見えた円も、さらに大きな括りの哺乳類の円の一部だろうし、更に引けば地球生命体の、宇宙の円の一部だと。



ならば、本来右左はおろか、宗教概念すらも無くて然るべきだと思う。



それを踏まえて、
私は、「日本の神道」は、何より靜かで、大変に美しいと思うのです。
グラミー賞を取れたら、天皇陛下にお会い出来るかも知れない。


単に、そう思って精進している限りです。


偏見とは何か、中央とはどういう意味か、区別とは何か、BeBopとは何か、音楽とは何か、流行とは何か。


答えは、何でもいい、のだと思います。
どうでもいい、に近い何でもいい。ですね。


ただ、それらについて、意見を発表する、もしくは上記の「常識感の合う者同士」で意見を言い合うことは、何より刺激的で開放感の感じられる話題なので、あくまで気のあう者同士が共通言語で話せばいいことで、しかも話すととっても面白いことだと思っています。



ただそれだけだと思います。



ところでみなさん、風邪に注意しましょう。

そして青少年のみなさん、今は知りませんが、24才になれば自由です。少なくとも私はそうでした。
死なないで頑張って生きて下さい。


自殺することは私の好きな考え方では、エスケープを意味します。サボリ、怠慢、途中逃避。
死んだらさ、多分泥になるんだと思う。寝てるけど起きられないけど寝られないみたいな気分。あるじゃあないですか。自律神経がズブズブ過ぎて一週間以上ほぼ起きてないような時の気分。

あんなのは楽に決まってるじゃあないか。
だから、死んだら楽になるんだと思う。

生きている最中に忙しいのは当たり前なのでしょう。
生きることは忙しいですよね。

死んだら永遠の静寂の中で、またしばらくは胎児のように浮いていられるんでしょうから、良い夢を見るためにも少々気張るのも楽しいものだと思います。


私は言葉が付いて来ないものだから、うまく言えていないんでしょうが、
鏡に向かって自分自身に自問自答を繰り返して気が狂って自らの脳を壊すより、自分自身を客観的に見る生活を送ることの方が、必要性は言わずもがな、とても良いことしか産まれない生活になるんだと思っています。

実は自分自身を客観的に見るのは非常に良いトリップです。
ただそれもどこまでも主観です。
それも含めて広い円をどこまでも想像するのは、私にとっては少なくとも気分が良くなることなのです。


もし気が向けば、どうぞ。


ではまた。

矢野沙織


2010年12月06日23:22 | Comment(6)
この記事へのコメント
いやー、沙織ちゃんの言うとおり、面白くなってきましたねー。まあ、これが哲学談義かどうかはわかりませんが、みんなが言いたいことを言い合えば良いわけで・・・。どうせ、結論なんて無いんだから。

当方、「どうでもいいですが、・・・」と言ったときに限って実は「どうでもよくない」ニュアンスが含まれていたりするんですが、とは言え突き詰めればやはり「どうでもいい」わけで・・・。

どうして「どうでもいい」のかといえば、秩序は、そもそもは混沌から生まれていると思われるからです。一個人においては死によって混沌に帰すると思われるし、地球においてはマグマに帰するのかもしれないし、宇宙においてはブラックホールとやらに帰するのかもしれません。

ならば、おっしゃるとおり、「本来右左はおろか、宗教概念すらも無くて然るべき」であります。しかし現実には、少し右であったり左であったり、神道であったり仏教であったりキリスト教であったりイスラム教であったりして、面白いというわけです。ただ、そもそもは無くて然るべきそれらを排他的に主張し始めると醜いことに発展するわけで、それが迷妄と名付けられるものですが、それもまたあるがままではあります。

人間、あらゆる迷妄から自由でいたいものですが、いったん動き出した車輪を元に戻すことは困難であり、何らかの迷妄の奴隷とならざるを得ないのも事実です。ところで、人間以外の動物に迷妄はあるのでしょうか。植物に迷妄はあるのでしょうか。鉱物に迷妄は・・・。このような、ともすると侃々諤々、喧々囂々の議論になりそうな問いの答えは、「どうでもいい」のひと言で解決されます。「迷妄」有らんば有れ、無からんば無かれ。そもそも迷妄とは何か。知とは何か。何もかも、わかり得ないというのが本当のところでしょう。

上記のような経緯が、当方が「あるがまま」と「どうでもいい」という人間苦を無視したような言葉が好きな所以かもしれません。「人間の探求」を始めたりしたら大変なことになりそうな気がしますし、そもそも「人間の探求」などというものがどれだけ価値のあるものなのかもわからないわけで、それなら何もわからずに生きて死ぬほうが楽しいようにも思います。「死ぬまで生きよ」という超楽観主義がよろしかろうと・・・。

でもまあ、おっしゃるように、少し気張っていつかグラミー賞でも取ってくだされ。そのことまで「どうでもいい」とは、とりあえずは申しますまい。
Posted by hoyden1956 at 2010年12月07日 02:43
矢野沙織様

こんばんは!

沙織さんの言う『センター』とは普通と言う意味かと感じました。

平凡な会社員は毎日が普通です。

普通が一番幸せだと思いますが、たまにはライブで刺激を感じたいと思います。

明日への活力が欲しいからです。
Posted by スナフキン at 2010年12月07日 19:53
久しぶりにブログにきました♪これからもちょくちょく来させてもらいます☆
Posted by 夜泣き 原因 at 2010年12月09日 08:40
メンタル面では特にそうですが、
中庸を保ち続けるっていうのが、
難しいですね。

自分の宙を今も探し中です。
Posted by わき at 2010年12月10日 08:13
ま、受け入れるってことなんですかね。多分。

色々な事や、立場や、性を。
Posted by komiya at 2010年12月10日 20:10
結局人間って奴は、軸になるもの、部分がないといけないのかも知れませんね。

それが正しいか正しくないかは別にして、信じれる物、事、人。これが大事って事なんだろうな、って。
あ、あと、自分。

これからも、自分を信じて音楽頑張って下さい。
Posted by komiya at 2010年12月10日 20:23
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