一年を通して思い返すこと  [矢野沙織]

みなさま、お疲れ様です。いかがお過ごしでしょうか。
今年も残す所あと僅かですね。

今年の私は、1月〜2月にかけて11枚目のアルバムになります「Bubble Bubble Bebop」の録音をしました。
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それからマスタリングにギリギリまで粘りながら、3月には日野皓正さんのバンドでカンボジアへ行く機会がありました。
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初夏には高野山の金堂にて、リニューアル時にオープニングを務めた「報道ステーション」へ数回目の生演奏出演を致しました。
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そして、夏にはレコードの発売のツアーや、日野さんのバンドでフェスティバルなどに出演をしました。
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「追悼ビリーホリデー」では、憧れだった木村充揮さんや金子マリさんとの共演も叶いました。
秋は少々ボケーっとして、先日冬のツアーを終わらせた所です。
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と、マイペースながら恵まれた環境で素晴らしい方々と演奏ができた一年でした。

さらに、道に咲く花の綺麗と気付いたり、季節の過ぎるのを眺める贅沢を覚えたり、今まで見えなかった色を身に纏う楽しさを知ったりと、少し大人になった気がしました。
また、小さなことではありますが、作詞作曲や、ライブでも歌いたかった曲をいくつか歌ってみたり、やりたかった事をいくつか実現できた年ともなりました。

それから、デビューする前からずっとずっと何故だか思い込んでいた「おかしなこと」と向き合い、消化することもできました。
と、言うのも、度々お話してきたことでもあるのですが、私はどうしても昭和歌謡が好きでして、
どういうわけだか、その哀しい世界を背負って歩いているつもりでいたわけです。

14歳の時に「十五、十六、十七と 私の人生暗かった」と聴いた日には、「私の人生は暗いんだ。」と思い込みましたし、
「花よ綺麗とおだてられ」ても「咲いてみせりゃすぐ散らされる」んだ…。と思っていました。その類には切りがございません。
それの最たるが、元はニューオリンズ民謡であります「朝日楼」でした。

浅川マキさんが和訳した朝日楼は、
愛した人が帰らなかったために家を出て、ごとごと電車に揺られて女郎部屋へ行き、もう帰れない故郷のプラットホームを思い出す。
そして吐きすてるように、また反対に懇願するように「誰か伝えてくれ、妹に。こんなんになったらお仕舞いだ、ってね。」という歌です。

おかしな言い方ですが、私はこの歌を信じました。
一度でも失敗した暁には、不安定な細いヒールで辛うじて立っているいつものステージの天板が外れ奈落へ落ちるのだ、と。なぜかそう変換してこの歌を信じました。

ですが、フと振り返ると「一度でも失敗する」どころか、一曲中に私が何度どんな転び方をしても、ひょいと掬って元のビートに乗せ戻して自由がきくよう泳がせてくれ、彼らにしか出来ない一流の演奏をするプレーヤーの方々を「私のバンドのメンバーです。」として紹介して歩いていたことに気付き、大変恥ずかしいような嬉しいような誇らしいような。なんとも言えない思いがしたのでした。
するとたちまち、ライブハウスのマスターやママやお客様、様々な人々がいかに「沙織ちゃん」を10年以上も見守って来てくださったかが急に見えて参りまして、またこれもなんだか照れ臭くこそばゆい思いがしました。
特に近い大人から見た私は「ただの沙織ちゃん」で、まさか私が描いてみたような「かわいそうな女」ではなかったわけです。笑

そう思うと、私の愛した哀しい歌を急に演奏してみたくなったのでした。
以前、そう言った思いとは、胸中左前にひたと隠していなければいけない、と思っていたのです。信じられないでしょうが本当にそう思っていたんです。
だから今までは演奏できなかった「朝日楼」を自由に演奏できた年にもなりました。

こんなに長い文を最後まで読んでくださっているうちに、今年の残り時間がさらに僅かとなりました。

みなさま、どうぞ良いお年を、健やかにお過ごしください。

矢野沙織

2016年 矢野沙織ライブ🎶🎶🎶🎶🎶

2/6 西新井カフェクレール
2/7 モーションブルー横浜

詳細は、HPにて発表します。

タグ:2015年 JAZZ
2015年12月31日15:38 | Comment(1)